吉田拓郎
 三階の倉庫から、古いフォークギターを引っ張りだしてきた。

 このフォークギターはうちのカミサンが大学時代に所属していた「アメリカ民謡研究会」で使っていた物である。なぜ今ごろフォークギターかというと、あるテレビ番組の影響によるものである。毎週土曜日の夜、キンキ・キッズなる若者達が、吉田拓郎率いるラブラブ・オールスターズと共演し、歌とギター演奏を披露している。

 吉田拓郎といえば、昭和46年くらいから岡林信康とともにフォークの神様としてこの世に知られはじめていた。私は彼が広島商科大学(現広島修道大)でバンドを組んでいた頃から知っていて、彼が初めて東京でコンサートを開いた時もその会場にいた。

吉田拓郎
吉田拓郎
 新宿の厚生年金会館の小ホールで「ともだち」というコンサートを開いたときのことである。ご存知、吉田拓郎とミニバンドである。当時、私は東京の叔母の家に下宿し、浪人生活を送っていた。ある日、予備校の帰りの電車の中で夕刊フジのタブロイド版を読んでいると、片隅に小さくコンサートの案内が載っていた。

 叔母に電話して遅くなることを伝え、初めて新宿で降りた。途中恐いお兄さんに道を尋ね、何とか会場に辿り着いた。会場には黒山の人だかりができていた。「拓郎もやるじゃん」と思ってよく見たら、大ホールのオズモンズブラザーズ目当てのお客さんだった。

 小ホールもほぼ満席だった。全席自由席だったので、急いで良い席を確保した。「夏休み」「ともだち」「ある雨の日の情景」などで盛り上がった。特に「人間なんて」は会場にいる人達と一体になり、「人間なんてラララーララララーラ」とやった。

 昔その時のレコードを持っていて(いまなぜか見当たらないだが・・)子供達に自慢すると「お父さんはいつもそればっかり」と言われ馬鹿にされていた。

 でも今は違う。キンキ・キッズと一緒に出演するようになって、子供達の評価も変わってきた。特にラブラブ・オールスターズの面々が登場すると「お父さんあれ誰?」と質問を受ける。音楽性の高いプレイヤーが一緒に出演することで拓郎の評価もどんどんと上がり「お父さんどうして知っちょるん」と驚いてくれる。父親株の上昇である。しまいには、ついつい調子に乗ってしまい「全部抱きしめーてー」と歌ってしまう。

 次の日、楽器店に行きギターの弦とピックを買ったのは言うまでもない。